1. 思考が静まった夕方に
今日は仕事を終えて帰宅すると、庭で息子が素振りをしていた。
その姿を見て、無意識のうちに外へ出て、ボールをトスしていた。
夕方の風が心地よく、いつもより少しゆっくりした時間が流れていた。
こういう何気ない時間こそ、忙しい毎日の中でいちばん心が戻ってくる瞬間なのかもしれない。
シャワーを浴びて、夕飯を食べ、テレビを見ながらのんびりと過ごした。
バラエティ番組に出てくる人たちや、SNSで見かける誰かの成功談を眺めていると、
「自分もスキルをマネタイズしなきゃ」と焦る気持ちが湧いてくる。
だけど、きっとあの人たちも、見えないところでは悩んでいて、
不安や迷いを抱えながら進んでいるのだろう。
結果だけを見て、そこに至る過程を知らないまま比較しても、
自分を見失うだけだ。
そう思うと、少し肩の力が抜けた。
2. 線を引くことは、優しさのかたち
今日は珍しく、思考にとらわれすぎることが少なかった。
仕事の中では相変わらず混沌とした状況が続いていて、
人の未熟さや配慮のなさに疲れることもある。
だけど最近は、それを「見ている自分」と「巻き込まれる自分」を
少しずつ切り分けて考えられるようになってきた。
人はそれぞれの段階で生きている。
感情的に反応せず、ただ観察する。
それが、自分の心を守るいちばんの方法だと思うようになった。
もちろん、それを冷たいと感じる人もいるかもしれない。
けれど、私にとって線を引くことは「距離を取るため」ではなく、
「自分の誠実さを保つため」なのだ。
誰かの感情や価値観に同調して、自分がすり減ってしまうよりも、
静かに線を引きながら関わるほうが、
お互いに健康でいられる気がする。
それは私の特性でもあり、これまでの経験から得た“生き方の知恵”だ。
3. 静けさの中にある気づき
一日を振り返ると、今日は“誰とも深く関わらない日”だった。
営業で数人と話しただけで、ほとんど一人。
以前なら孤独を感じていたかもしれないが、
今はその静けさの中に少しの安心も感じている。
一人でいると、自分の内側の声がよく聞こえる。
「本当はどうしたいのか」「何に疲れているのか」
そういう問いが自然と湧いてくる。
息子が庭で素振りをしていた姿を思い出す。
彼はただ、自分のペースで、自分の世界を磨いていた。
誰かに評価されるためじゃなく、
「うまくなりたい」という純粋な気持ちで。
それを見て、私はふと気づいた。
線を引くということは、誰かを拒むことではなく、
“自分のペースを守る”ということなのだと。
だからこそ、私も私のペースで進めばいい。
4. 優しさは、静かに生きる力
明日もまた、仕事の中で理不尽や混乱に出会うだろう。
それでも、自分の境界線を持ちながら、
人と誠実に向き合っていこうと思う。
たとえ冷たく見えるとしても、
それが自分を壊さずに生きるための、
静かな優しさのかたちだから。
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